ふきやま霧島東麓クリニック

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 先生の白衣姿や消毒薬の匂いなど、子どもの頃の病院の記憶は今なお鮮明に残るものです。

明日、高原町に小児科医院「ふきやま霧島東麓クリニック」が新たに開院します。町内唯一の小児科医院ということで、「子どもたちの健康を守るため」と強い気概を抱いて立ち上がった地元西諸県郡出身の柊山了院長に、明日に迫った開業への意気込みを伺ってきました。

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―開院の経緯を。

柊山 私の実家は小林市で父が耳鼻科、母が眼科を担当する診療所を開いており、診療所が遊び場という幼少期を過ごしました。地元の高校を卒業後、初めは医学部以外の学部に進学しましたが、30歳で一念発起し、久留米大学医学部に入学しました。その後無事に医師免許を取得し、大学の関連病院を数多く回りました。都市部の小児科、特に救急病院の勤務は非常に忙しく、心身共に疲れ切った所に、人間に感染の恐れがある致死的な新型鳥インフルエンザの流行が現実になる恐れが増し、もし自分が倒れるなら、生まれ育った西諸県地域で精一杯働いた上で倒れたいと感じるようになりました。そこで平成19年に地元の小林市に帰省し、小林市立病院に勤務させて頂きました。幸い恐れていた新型インフルエンザの危機を乗り越え、心理的に一段落した折に、思い切って地元西諸県郡での診療所開設を決意しました。

―開院に対する思いは。

柊山 帰省後に痛感したのが、西諸地域の過疎化と医療環境の厳しさでした。全国的に言えることですが、都市部に比べて山間地域は小児科医が非常に不足しており、他の市町村同様、高原町も小児科医が不在という状況でした。こうした不十分な小児科医療が地域の過疎化に拍車をかける大きな要因の一つである事は否定できません。小児医療の充実を考える時、医療行為を厳正に行うことはもちろんですが、未来ある子ども達が多数存在して初めて成り立つという自然の道理があるように思います。そう考えた時、医療行為の枠を越えた地域活性化への努力が必要だと感じるようになりました。研修医時代に20年程福岡の都市部で生活してきた経験から、地域が独自の存在感を持たなければ衰退消滅していき、人口が流入した都市部もやがて肥大化し、最後にはパンクしてしまうのではと強く危惧しております。私の開業が何らかの形で地域活性化のきっかけとなるように、医療と地域再生の両輪に尽力していきたいと思っています。

―そもそも小児科医を志したきっかけは。

DSC_0018.jpg山 先述したとおり、実家が眼科・耳鼻科の開業医ということで、普段から小さな子ども達の診療を目の当たりにしていたことで小児科と言う選択に特に違和感がなかったこと、また、久留米大学の小児科は乳幼児~幼少期に原因不明の高熱で発症する「川崎病」研究のメッカで、病因に非常に興味があり、さらに優秀な先輩方も多数おられたため、小児科を選択しました。まっすぐで純粋な子ども達と接することはとても楽しく、自分の性分にも合っているように思います。また、何よりも小児科を熱望される地元の方々に対して貢献できるということが、大変名誉なことであると思います。

―最後に今後の展望を。

柊山 子ども達は大人が想像するよりも遥かに感性豊かで、不安や痛みに極めて敏感に反応します。一方、大人たちがしっかり守り、育てると、ぐんぐん成長して辛抱強い立派な人間へと成長します。子ども達の感性や閃きなど、自由な発想や疑問をしっかり受け止めることが最も大切であると同時に、おそらくここから地域発展の様々な芽が生まれてくるのではないかと思います。地方の診療所という点を前向きに捉え、地域の素晴らしさを皆様と共有し、当診療所を拠点とした様々な情報の発信とイベントにも取り組んでいきたいと思います。そして、地域の皆様に末永く愛される病院を目指してまいりたいと思います。

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