画家 弥勒祐徳(スケノリ)さん

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『生涯現役』 人生80年、90年時代を迎える今、理想的な生き方である。

90歳を目前にして、この春、初めての絵本を出版した西都市出身・在住の画家、 弥勒祐徳さんは、まさに生涯現役のお手本を見せてくれる。

絵本出版のいきさつなどを含めて話を伺った。

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1919
年(大正8年)宮崎県西都市出身の弥勒祐徳さんは、19歳で西都市立寒川小学校の代用教員となった後、21歳で応召。南方戦線に従軍し、1944年(昭和19年)25歳で召集解除。三納青年学校助教諭として、再び教鞭をとることとなった。

28歳のとき、新制中学校発足と共に、三納中学校教諭として英語を担当。

5年後の33歳で、美術担当となり、本格的な絵の勉強を始める。1978年妻中学校を最後に、教員生活に終止符を打った後も、現在に至るまで絵を描き続けている。

 

宮崎県美展特選をはじめ、文部省の地域文化功労賞、宮崎県文化賞、西都市民栄誉賞など数々の賞を受し、個展の回数は370回を超える弥勒さんが、生涯で初めて出版した絵本は『木喰さん』(石風社 1470円)。 飢饉が続いた江戸時代に、日本全国を旅しながら、鎮静平穏の願いを込めて1000体以上の仏像を彫り続けた木喰上人の生涯を描いたものである。

 

 ―これまで、数多くの絵を描き続けてきた弥勒さんが、初めての絵本を出版したきっかけは?

 

  1991年に『木喰は生きている-上人の足跡を訪ねて』(鉱脈社)という本を書いたんですが、その後、木喰上人と同じ様に川の中で仏像を彫る私の様子が新聞で取り上げられ、それを見た出版社から「これを子供も大人も楽しめる絵本にしてみないか」という話を頂いたのがきっかけです。

  もともと、木喰上人の話が余り知られていない、特に西都には10年も滞在し、木喰仏が現存するのに、地元でさえ知らない人がいることを残念に思っていました。

  絵本にすれば、大人も子供も、その昔こんなに素晴らしい人(木喰)がいたということを知ってもらえる・・・そうなれば有難いと思い、引き受けました。

 

木喰さん.jpg木喰上人は、享保3(1718) 甲斐の国(現在の山梨県)に農家の次男として生まれ、14歳で江戸に出て様々な奉公を繰り返した。

その後22歳で出家。45歳のときに、木喰戒を授かり修行を積む。

木喰戒(木食行)とは、米・麦・ひえ・稗・大豆の五穀を断ち、肉や魚を食べず、火を通さず木の実・草の根や野菜を食べる厳しい修行で、木喰上人は、好きな蕎麦も水で捏ねて食べ(酒は愛したが)生涯この戒めを守ったといわれている。

56歳で全国行脚の旅に出て、178871歳のときに、日向の国(西都市)を訪れた。地元の人々に乞われて国分寺の住職となった3年目、寺が火災で焼失。

寺の再建・再興しようとの願いを込めて彫った五智如来像(西都市三宅の五智如来館に現存)や自身の像を残し、日向の国には10年滞在した。

その後も旅を続け、90歳を超える生涯で約23千キロを歩き、1000体を超える仏像を残している。

 

  ―弥勒さんが、木喰上人に魅せられたのは?

 

  中学生の頃、学校に通う道にお堂があり、よく雨宿りをしたり遊んでいました。

そこに大きな仏像があり、何だろうと思っていましたが、それが木喰仏だったんです。

 その後、戦争から帰り、外国にいたことで英語教師になったのですが、難しくて上手くいかない。何か自分に向いているものはないかと考え、小学校の頃から好きだった図工の教師になりました。絵はデッサンからといいますから、人物デッサンを始めようと思ったのですが、なかなかモデルをしてくれる人が見つからない。そこで思い出したのが、お堂の木喰仏でした。

 

 お寺に行き、木喰仏を何枚も何枚も写生するのですが、1枚として同じものが描けない。その時々で、表情が違って見えるんですね。そこで、木喰さんは生きているんだなと感じ魅せられましたし、更に木喰さんを人物代わりのモデルに、一生懸命に描いて練習しました。考えてみると、木喰さんがものを描くきっかけになったんですね。

 

 日向の国(西都)に10年いた木喰さんが、国分寺を去るときに、現在樹齢900年の大銀杏の木の中に自刻像を入れ、それが樹皮でおおわれるとき、私は再びここに現れるだろうと言い残し旅立ったといわれていますが、それから200年経った今、国分寺跡の大銀杏の木喰像はありません。

 

しかし、ある日、友人が早朝に撮った国分寺にある栴檀(センダン)の古木の写真を見たら、私にはそこに、杖を突いたお坊さんの姿が見えたんです。それを見た瞬間、大銀杏の木喰像はいないけれど、ここに木喰さんは生きているんだと思いました。

 

これをきっかけに『木喰は生きている』を書きましたが、木食行に励み、この世の平安を願い1000体を超える仏像を彫り、93歳の天寿を全うした木喰さんの偉業に感動させられました。

―木喰上人の足跡をたどる旅をしたそうですが・・・。

 

退職の年、昭和53年(1978)に全国の木喰仏をたどる旅に出かけました。1ヶ月くらいかけて回ったのですが、一度には回りきれず、何回かに分けてたどりました。

 テレビ番組などの取材とは違い、一介の素浪人ではありませんが、見ず知らずの人間が訪ねるのですから、訝しがられ中々というより、見せてもらえず情けない思いもしましたが、あるところではお茶やご馳走で歓待して頂いた上に見せてもらえたりもしました。そうして、退職金をはたいて木喰が歩き、残した仏像をたどって回りました。

 

 木喰は、仏様を作って日本全国を仏土にすれば、平和で、人間同士が殺しあったりすることのない世の中になるという信念を持って全国を回りました。

 

武将は血を流して自分の国を治めましたが、木喰は一滴の血も流さず、人々を助け救ったのです。実際に旅してみて、至るところにその足跡が残っている。あらためて木喰は、何者にも代えられない素晴らしい人だったと思いながら、木喰の残した仏像の絵を11枚スケッチして回りました。

  ―木喰上人も、全国を回る中で、必ずしも歓迎されなかったこともあったのかも知れませんね。木喰さんとご自身を重ね合わせてみることは?

 

 私は、じっと据わって絵を描くことができない、座って考えていても描けない。どこか歩いていないと描けないんです。木喰もやはり、全国を歩いたから1000体を超える仏像を彫ることができたと思うんです。 それに、私は仏様の顔を描いているんですが、自分の顔を描いているといわれるんですね。だから親しみがあるという人もいます。

 木喰もやはり、仏像を彫って歩いたのですが、実は自分の顔を彫っているんですね。

そういう面では共通するところもあるでしょうか。

 

 私は木喰の生まれ変わりじゃないかという人がいますが、200年経った(200歳違いの)生まれ変わりだったら有難いことですよね。

 

でも、私はそんな人間じゃありません。いくら生きても木喰さんには敵わないですね。

 *****

 

確かに、弥勒さんの描いた木喰仏の絵からは、木喰さんと弥勒さん、両方の笑顔が見えてくる気がする。 御年89歳。健康の秘訣を伺ったら、特に何もない、耳が少し遠くなっただけで、体の悪いところもないし、特別食事に気をつけたりもなく、好きなように日々を送っているとの答え。髪もふさふさで、動きも年齢を感じさせないほど若々しい。 話を伺う間も、ご自身でお茶の準備をしてくださったりと、少しもじっとしておられない。 これが生涯現役、元気の秘訣かもと感じた。 370回を超えた個展は、400回に向けて着々と作品が生まれている。

 西都市三納の自宅アトリエに隣接する『弥勒美術館』では、絵本の原画をはじめ、これまでの作品や、木喰上人の足跡をたどる旅でのスケッチなどを観ることができ、 弥勒さんがおられれば、作品についての話なども伺える。

石風社  TEL  092-714-4838    FAX  092-725-3440

 

 

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