久保田オートパーツ 久保田 茂社長
久保田オートパーツは、約35,000点の自動車用リサイクルパーツを常時在庫する「リサイクルパーツのデパート」。昭和50年の創業以来、自動車のトータルリサイクルを目指し、適性価格での使用済み自動車の買い取りや中古部品の提供などを国内外で行っている。ITを駆使した徹底的な在庫管理とお客様に対する明瞭なサービスには定評があり、地球の環境を第一に考える企業として評価も高い。久保田社長にお話を伺った。
回収した自動車は、整備を行い、中古車として販売するものもある。また仕入れ車両の優良な部分を選別して取り外し、品質のチェックや入念な機能チェックを行ったうえで、洗浄し、磨き、メンテナンスを行ない、埃が付かないよう梱包され、中古部品として、再利用される。国内はもちろんのこと、アジア、中南米、アフリカ、ロシアなど20ヶ国の海外にも輸出されている。
ITを駆使した徹底的な管理
九州で初めてという中古部品の自動車倉庫も導入し、コンピュータによる在庫管理が強化されたことから約3万5000点にも上る部品が一目瞭然。正確な管理ができるようになった。ボディ回りからエンジン関連、足回りまで豊富にあり、その膨大な在庫を、メーカー別・車種別にコンピュータ管理し、お客様からの問い合わせにも瞬時に対応できるようにしている。
清潔で活気のある明るい職場
「企業ということを意識して、社員教育には力を入れてきました」。5年間に渡り、社員教育専門のコンサルタントを入れ、膨大なお金をかけて徹底して社員教育を重視してきた。「マニュアルどうりの挨拶ではない、気持ちのいい挨拶を自分から率先して行なうこと。社員には部門、部門でその道の社長になってほしい」と力説する。
人間やろうと思えばなんでもできる
何事も目標を立て、その夢を確実に達成してきた久保田社長。会社の経営者になるという目標は5歳の頃にさかのぼる。
そして小学校の頃、都城から日南へと転校する。最初は言葉がわからず苦労した。友達もいないし、地元でないので仲間もなく、喧嘩も一人では勝てない。その我慢の少年時代、大人になるまでこの勝負はお預けだと決意する。その後、進学した高校の校長が、「人間やろうと思えば誰でもできる」と三年間、月曜の朝礼で言い続けた。その言葉を聞くうちに、「本当だろうか、やってみようか、誰でもやろうと思えばできるのか」と思うようになっていく。
子供の頃から解体業の両親の手伝いをしていた久保田社長。その大変さを身にしみて感じていたので、高校を卒業後はネクタイを締めて働くのを夢見て東京に行く。順風満帆な東京生活だったが、ユーザーから車を高く購入し、喜んでもらい、一方でその部品を安く提供したいという構想が段々強くなり、解体業をしようと宮崎に帰る。昭和50年、久保田社長が26歳の時である。
宮崎で一生をかけて、そこそこの解体屋になりたいと決心し、宮崎市の本郷北方に「久保田自動車解体」として開業する。まさしく奥さんとの二人三脚でこつこつ創めた。翌年には工場も移転し、敷地も広くなり、段々と広い場所が必要になり、いずれは、宮崎市内の山を造成して工場を建てたいと目標を立てる。その目標を掲げて15年。平成13年には現在の宮崎市細江に工場を移転する。そして九州で名の通った企業になろうと目標を立て5年間で達成。今度は日本のトップクラスになろうと目標を立て現在に至る。
この道33年、成功の秘訣を伺うと「乗った船には降りるなという諺もある。途中、他の商売が儲かるとか世間の言うことを聞かず、この道一筋。いつかいいことがあると自分を信じやってきた。一つ道を決めたら乗り換えしないこと」と笑顔で話す。健康に感謝し、常に目標を実行に移すパワー溢れる久保田社長、これからも目が離せない存在だ。
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