有限会社ぐんけい 黒木賢二社長

空前の宮崎ブーム。4月に始まった県庁ツアーはなんと10万人を突破した。今、全国で一番注目を集めているのは本県と言ってもよいだろう。 こうしたなか今回は"宮崎の旨さ"の代名詞ともいえる「みやざき地頭鶏」の指定店第一号で、各界の著名人をはじめ全国の多くのファンの支持を集める超人気店「有限会社ぐんけい」の黒木賢二社長を特集する。

同社は「山地どりの店ぐんけい」として、平成2年に宮崎市花ヶ島町で創業。その後平成14年に「ぐんけい清武店」。平成16年には宮崎市中央通に「ぐんけい隠蔵」また、今年7月には福岡県に「ぐんけい西中洲店」をオープンさせるなど県内外に4店舗を展開している人気の地鶏専門店だ。

社長の黒木賢二は、昭和12年に川南町の農家に生まれた。小さい頃から誰よりも好奇心旺盛で人の真似をすることが大嫌い。常に自己流で新しいことに挑戦する姿勢は幼少の頃からずっと変わらず、「将来は世界を股にかけるような大きな仕事をしてみたい」と漠然とした夢を持っていた。だが5人兄弟の長男だった黒木が家業を継ぐのは当然の使命。宮崎県立高等営農研修所(現・県立農業大学校)を卒業後は、農業の道を歩んでいく。唐いもをはじめ米、麦、大豆、野菜など何でもつくる自給自足の日々。生活は安定していたが、いつの日か、何か物足りなさを感じるようになり、刺激を求めるようになった黒木は25歳の時に、軽トラックを手に入れて市場を往来する運送業に転じた。その後、事業は順調に伸びて海産物の卸問屋「黒木商店」の看板を掲げるようになった。さらに27歳で結婚すると、奥さんを店主に街道筋に食堂を開業させ、周囲から出世頭と騒がれるようになった。

しかし、もともとは素人商売。経営は次第に苦しくなり31歳で倒産して逃げるように上京した。 東京では地下鉄の作業員をはじめ運送会社や鉄工所など職を転々とした。作業員の宿舎暮らしをするなど苦しい日々は続いたが、再び成功することを夢見て決して逃げることなく黙々と働いた結果、ついに神奈川県横須賀市に黒木鉄工所を設立。周囲に商才があることを改めて証明した。 見事に復活の、のろしを上げたかのように見えた黒木だったが、またしても試練が訪れる。開業から3年後の1977年にオイルショックが起こり、そのあおりを受けて親会社が倒産。黒木鉄工所も連鎖倒産に追い込まれて、多額の借金だけが残る結果となった。

この時40歳だった黒木は、妻と4人の子どものためにも早く借金を返したいと思い、イラクへ出稼ぎに行くことを考えたが、治安が悪化している状況を心配した親や兄弟に強く説得されて断念。再び帰郷して、弟の営む寿司屋で働きながら借金を返していった。 その後、43歳で離婚。手元には幼い子ども4人が残され途方に暮れていた時、これまでの実績を買われて地元の鉄工所から声が掛かり工場長に抜擢された。4人の子育て、家事と仕事を両立する忙しい日々。こうした生活が9年間続き、このまま自分の人生も、ようやく落ち着くのだろうと思っていたそんなある日、バイクで事故を起こし、長期の治療を要する程の重傷を負ってしまった。毎朝「安全第一」と訓示していた工場長が、これでは示しがつかないと責任を感じて辞表を提出。52歳でサラリーマン生活に自らピリオドを打った。

何の当てもなく鉄工所を退職した黒木であったが、これまで何度も苦境から這い上がってきた。落ち込んでいる暇はないと、新たなる挑戦を模索し始めた時だった、県職員の弟から県畜産試験場で「みやざき地鶏」を研究・改良しているという話を聞いた。 今でこそ、「みやざき地頭鶏(じとっこ)」としてブランドが確立され、全国的にも有名となった「宮崎地鶏」。だが、意外にも当時はまだ「宮崎の地鶏」と呼べる品種は存在していなかった。 そもそも地鶏とは、その地方特有の在来種を改良して生み出された品種のこと。 県畜産試験場では、宮崎県及び鹿児島県の旧島津領地で古くから飼育されていた日本在来種で、国の天然記念物にも指定されているほど貴重な原種である「地頭鶏(じとっこ)」を交配させて宮崎地鶏を開発した。これが今、注目を集めている「みやざき地頭鶏」である。 黒木はこの"本物の地鶏"を使えば勝負できると考え、背水の陣の覚悟で平成2年に宮崎市花ヶ島に「山地どりの店ぐんけい」をオープンさせた。

専門店で修業をすることもなく、全くのゼロからのスタートを切った黒木。店と直営の養鶏場を往復する忙しい毎日は続いたが、開店初年度は1日に客1人という日も珍しくはなく、ギリギリ生活費が残る程度だった。だが、2年目に入ると次第に手応えを感じるようになっていた。それは直営の養鶏場で着々と飼育していたみやざき地頭鶏が自分の理想通りのものに成長していったからだ。 同社では、親鶏は県が管理して雛を供給するシステムをとり、抗生物質や成長ホルモンなどは一切与えずに、林間に5ヶ月間放し飼いにするという独自の飼育方法を採用。雄大な大自然で手間暇かけて育てた「みやざき地頭鶏」は、肉質は軟らかいが噛むと弾力があり口の中で旨みが広がる究極の地鶏へと仕上がった。

「職人の技を盗むのが修業ならば、自分で創り出すのも修業」と持論を展開する黒木。「お客さまに一番おいしい状態で提供できるにはどうすればよいか」という挑戦の日々は続いている。 一番、難しかった焼き方は、強い火力で手早く焼けるように火ばさみではなく特注のヘラを使用。今や名物となった炭火で豪快に焼き上げる熟練の技は、試行錯誤の末に築き上げられていった。また網やコンロも使いやすいように自ら設計し改良する。さらに調味料にもこだわりが。使用する独自の炒り塩は、全国各地で作られている天然粗塩から、同社に一番適したものを厳選。これをフライパンでじっくりと炒るなど手間暇をかけて完成した自信作だ。このほか薬味に使う柚子こしょうも自家製で、9月初旬に1年分をつくって冷凍保存するほどの念の入れようだ。 そしてバラエティーに富んでいるメニューも全て考案。「素材本来の旨さを斬新な発想で」というのが黒木流。素材の性質を熟知し旨さを最大限に引き出しながら自慢の逸品へと作り上げ、多くのファンを魅了している。

来春、同社は広大な養鶏場の建設を予定している。山の一部を切り開いた、みやざき地頭鶏のための大地だ。5千羽のみやざき地頭鶏を放し飼いにして、鶏糞などは土に返す資源循環型のシステムを確立させ有機農業も行う。また、季節に応じた色とりどりの花や樹木を植えるなど癒しを与えられる「地鶏の楽園」を目指す。 最後に黒木は「素材にこだわりプロ意識を持って、これを最大限に生かせるよう追求していくことが大切です。みやざき地頭鶏がこれだけ注目されている今、みんなが幸せになれるように県の指導のもと、契約農家やみやざき地頭鶏普及促進協議会の仲間と一丸となって、名実ともにみやざき地頭鶏を日本一にできるように努力していきます」と抱負を語ってくれた。

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